立命館大学法学部同窓会に出席して

7月7日(日)帝国ホテル東京において立命館大学法学部の第20回記念総会が開催された。あいにくの雨で、これまで何回か来たことがあるホテルであったが、東西線の有楽町駅から出口を間違えてしまったのか、道が分からなくなり、逆方向に行くことになってしまった。道行く人に聞いても要領を得ない。仕方なく大きな道に出てタクシーに運んでもらう羽目になった。帝国ホテル2階の会場受付で13時に立命館大学の樋爪教授と待ち合わせたのに、15分ほど遅れてしまった。東京の街は、都内に住んでいても、日頃行かないところは、街の様子が変わることもあって分かりにくい。

それでも受付で樋爪教授と会って、会場の指定席に案内していただいた。私は会費を払うつもりで出席したが、招待としての手続をしていただいていたようである。27年間立命館大学法学部に勤めたとはいえ、「東京に出てみたい」というわがままを言って、立命館を離れてすでに23年ほど過ぎているので、少し申し訳ないように感じた。会場の正面に向かって右側に指定されたテーブルと椅子が用意された席に着く。同じテーブルには、立命館大学時代いろいろとお世話になった行政法の田村悦一名誉教授や刑事訴訟法の久岡康成名誉教授、同僚であった刑法の上田寛、国際法の薬師寺公夫、民法の吉村良一、二宮周平、元総長で労働法の吉田美喜夫名誉教授など懐かしい方々が座っておられた。各先生方と挨拶を交わし、記念の品として持参した『誰もが行ける80日間世界一周旅行』(東京図書出版)をまだお渡ししていない先生方にお渡しした。すぐ前の席に樋爪教授と同期のゼミ生で、本日の記念講演者である高橋拓児氏と思われる人が座っておられたが、卒業後30年近くたっており、しかも講演の直前でもあるので、こちらから声をかけにくかった。出席者は当初230名程度と聞いていたが、当日は盛会で270名の出席者だとのことだった。

法学部同窓会平林幸子会長や仲谷善雄総長の挨拶、総会の後、京料理「木乃婦」三代目主人で大学卒業後帝国ホテル吉兆などで5年間修業を積み、京都に帰ってからも京大の大学院などで学び、『和食の道』(IBCパブリッシング)などの著書がある高橋拓児氏の「キャリアの多様性と法学部での学び」と題する記念講演が行われた。法学部で学んだ法律学は、制定法や判例を基本的な指針として具体的な紛争にそれをどのように適用し、どのように解決するかを考える訓練だった。卒業後に学んだ和食の道は、型を基本としながらその本質的要素を捉え、素材や料理方法をどのように変えても和食の道に外れないか、それでも和食といえる特徴がどこにあるといえるのかを探求する訓練であった。その点では法学を学んだ延長線上に和食の道を位置づけることができたという。27歳で三代目主人を継いだ後、新しい料理を考え、挑戦するごとに、30数名いた料理人が次々と辞めてゆくのに苦労した。しかし、自分の料理に共感する料理人を新たに雇い、独立した場合の収入の8割ほどの給料を支払うなどの工夫をして、現在は42名の料理人が働いているという。具体的にステーキを和食に取り入れる際の苦労などを例を挙げて説明された。末川博先生の法学入門では、自然法則は社会的な規則と異なり、時代を超えて妥当する普遍的な法則と書かれているが、例えば、水が零度で凍るという自然法則は環境を変えてやれば普遍的に妥当するとは限らない。自然法則も一定の条件の下で妥当するに過ぎない点では、他の原則や規則と本質的に変わらないとされた。確かに、ニュートンの万有引力の法則がアインシュタインの相対性原理により修正され、平面幾何学の公理が流体幾何学では通用しないように、自然法則や数学上の公理も一定の条件の下で成立するものというべきであろう。ただその条件の存在の態様や幅において異なるだけということもできよう。それはともかく、大学時代まだ頼りなく感じられたところもあったかってのゼミ生のこのように成長した姿をみることは大変嬉しいことであった。

懇親会では、かつて低回生小集団で教えた藤浦典子さん他10名ほどの同じクラスの人達(1981年卒)が参加していた。もう30年近く経過しているであろうに、親しく和気あいあいと語りあっている姿を見て頼もしく感じた。高橋氏のほか、かつてのゼミ生とも会うことができた。例えば、学生時代に便宜置籍船をめぐる問題に深い興味を示し、海運会社を目指すべきか、国家公務員の上級を目指すべきか、相談を受けたことがあるY氏は、現在内閣府の宇宙開発戦略推進事務局の審議官を務めているようである。いろいろな経験を経ながら、かつて興味を抱いた海洋上の問題から宇宙環境の整備に取り組んでおられるのも興味深い展開であった。帰宅したら早速Y氏からメールが届いていた。同じゼミ生で行政管理庁に努めておられるU氏も誘って一緒に会いたいとのことであった。おそらく忙しい彼らのことであるので、実現するかどうかは分からないが、その誘いそのものが嬉しく思われた。

懇親会の終わり頃、細身で健康そうな婦人が私に寄って来て、「先生大分太られましたね」という。確かに、立命館時代の初めの私の体重は65キログラム前後であった。その後大学での役職などで間食してしまった関係で体重が70キログラムほどになった。早稲田大学に単身赴任し、一気に体重が80キログラムになった。ハーヴァード留学中一旦は75キログラムに減量したこともあったが、すぐにリバウンドし、また80キログラム台になってしまった。とくに最近の健康状態はあまりよくない。「大学退職後あまり動きませんので。」というと、「健康に気を付けてくださいね」といわれて、離れて行かれた。ところが、そのご婦人が誰であるか確信を持てない。私が立命館大学に赴任してまもなくの頃、私のゼミに国府寛子さんが居られた。その方に似ているのであるが、当時はどちらかというとぽっちゃり形であり、少し違うかなとも思う。不覚にも東京の会に出てきておられることをチェックしてなかった。やはり国府さんだと気付いた頃には、その方は人混みの中にあり、見失ってしまった。折角の機会だったので、もっとゆっくり話をすべきだったと後悔した。

同窓会の土産にいただいた高橋氏が監修した「さんまの缶詰」を妻とともに味わった。嫌味が全くない、さわやかでおいしい秋刀魚の味を堪能した。家庭の法と裁判21号に掲載予定のハーグの子奪取条約に関する論文の再校に取り掛かる。

立命館大学法学部同窓会に出席して” に対して2件のコメントがあります。

  1. 野口邦夫 より:

     木棚先生 7/7にお会いできて大変うれしく思いました。先生は覚えておられないとは思いますが、法学部に2回生のときの園遊会で奈良にいったときにご一緒の席でした。当時は若手で、わたくしも法学部の先生のお名前はわからなくてお話のなかでわかってきたりとかそんなことでございました。法学部在学中は先生のご講義を聴く機会はなかったように思います。
     その後、早大に来られたころに関東の新人歓迎会にお越しいただきうれしく思いました。当時、校友会東京支部で新人歓迎会の準備をしているときに新人から木棚先生とのお話があり、私が連絡をとらせていただきました。
     また、その後、私の会社の先輩の中野守さんが先生とは大学時代に一緒に勉強をしたとのことでわたくしが連絡をとらせていただき3人で食事をしたことがありました。中野さんははやばやにお亡くなりになって….そんなことを。
     そういえば、立命館ロー・レビューの先生のご挨拶「またお会いしましょう」http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/nl/nl8.pdf が印象深く何かとこの挨拶を思い出します。今日もあるところでそれで先生のことをネット検索をしてはじめてこのページを知りました。

  2. 野口邦夫 より:

    野口邦夫様
    久しぶりにメールを賜り嬉しく存じています。大学時代の先輩中野さんと一緒に第一ホテルで夕食を共にさせていただいてからすでに20年ほど経過したのではないかと存じます。中野さんは1年先輩ですので、亡くなられたと聞き驚いています。立山に一緒に登山するなど懐かしい思い出があります。中野さんのご冥福をお祈りしたいと存じます。野口さんはその後お元気でご活躍のことと存じます。
    私の方は、早稲田大学を70年で定年になった後、名古屋大学の大学院時代の友人の紹介で名古屋学院大学に法学部を設置するのに助力するため、4年間名古屋に居住いたしました。同大学を退職した後、ピースボートでの80日間世界一周旅行に出て妻と共著で『誰もが行ける80日間世界一周旅行』(東京図書出版)を出版したり致しました。年を取ってからの年月の流れは速く、私も78歳になっています。弁護士登録は残しておりますが、現在でも研究者としての生活をしております。機会があればまたお会いしたいと思います。立命館時代はわたくしにとって思い出深い時代です。その時代の意気込みを忘れずに研究を続けることができれば幸いと存じております。立命館大学の同窓の皆様にお会いする機会があれば、よろしくお伝えください。

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